ここでは、政府が昭和38年から毎年発表している防災白書について、できるだけ分かり易く解説してまいります。

防災白書とは、法律に基づいて政府が毎年通常国会に報告しなければならない法定白書[1]です。主な内容は国としての防災計画と防災措置です。

近年では、前年度の特異な災害などに関する特集、我が国の災害対策の取組状況を報告する第1部、2会計年度前、つまり平成29年度防災白書であれば、平成27年度において国として取り組んだことを報告する第2部、発行年度の防災計画を報告する第3部の大きく4部で構成されています。
また、資料として様々な資料が巻末に附属されています。

なぜ昭和38年度から防災白書が発表されるようになったのでしょうか。災害対策基本法に関係していることはわかりますね。
ではなぜ災害対策基本法がこの頃に制定されたのでしょうか。その経緯を簡単にご紹介しましょう。

昭和27年3月、北海道十勝沖を震源地とする十勝沖地震が発生します。当時の被害額は150億円以上で、都道府県単独では対応することが困難であることから、全国知事会はそれまでの防災行政を見直し、知事会の案として「非常災害対策法要綱」「非常金融公庫法要綱」を決議し、政府はじめ関係方面に働きかけましたが、反応は鈍く目立った動きはありませんでした。

その様な中で昭和34年9月26日に発生した伊勢湾台風[2]は、死者・行方不明者5089人と7000億円を超える物的損害をもたらし、全国的に知事会案の趣旨を受けた法制定の動きが活発になり、政府も防災行政を再検討することとなりました。

昭和35年には内閣で法律案が作成され、各省庁間の調整、自治省案や自民党案との検討を経て、昭和36年4月下旬に法案の名称が「災害対策基本法」と決まり、昭和36年10月31日に国会で可決成立し、11月15日に公布、昭和37年7月1日に施行されました。

知事会の提言から約10年、伊勢湾台風による甚大な被害を受けて省庁の垣根を越えた横断的な災害対策基本法ができあがりました。

[1]災害対策基本法第9条第2項「政府は、毎年、政令の定めるところにより、防災に関する計画及び防災に関してとった措置の概況を国会に報告しなければならない。」

[2]1959年(昭和34年)9月26日夕刻に紀伊半島先端に上陸した台風15号(伊勢湾台風)によって、台風災害としては明治以降最多の死者・行方不明者数5,098名に及ぶ被害が生じた。

この台風による犠牲者は全国32道府県に及んだが、その83%は高潮の発生によって愛知・三重の2県に集中した。これによって、その後の高潮対策が大きく進展したが、それに留まらず「災害対策基本法」制定の契機となるなど今日の我が国の防災対策の原点となった。(引用:内閣府防災報告書から)

引用URL:http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1959_isewan_typhoon/index.html